1 電気分解に夢をのせて

「電解電子機能水開発の歴史」

1. 電気分解とは

電気分解技術は近代産業を根底で支える技術です。化学反応では難しいことをいとも簡単に処理してくれます。例えば金属を単体で取り出したり、水から酸素と水素を取り出したり、食塩水から塩化物、次亜塩素酸ソーダを造ったりと、電気分解技術は産業の基幹を支える技術として多くの分野で利用されています。

電気分解の区分

分解技術生成
水の分解水素エンジン、水から水素を作り出す技術
食塩の分解乾電池、リチウム電池、バッテリー、苛性ソーダ生成技術、次亜塩
素酸生成技術
金属の分解メッキ技術、鉄を除く金属精錬

弊社の商品である電解電子機能水※1(以下「EFW」という)は、こうした電気分解技術を応用して生成されています。EFW は、従来の電気分解水、電解水が持つ欠点を全て修正し、かつ、使いやすく改良したものです。この開発に 30 年以上かかりました。EFW が電解水と大きく異なる点は、次のとおりです。

① 生成水に電解質が混入していない
② 様々な分野における処理能力が高い
③生成水に水素化物イオンと電子を固定している
④ 保存期間が長い
⑤ 希釈して使用できる
⑥ 安全性が高い。(水同様の安全性)
※1:電解電子機能水:EFW(Electrolytic function water)

2. 電気分解の可能性について

電気分解が化学反応と比較して圧倒的に優れているもの、それは効率です。水を酸素と水素に分けるのに化学反応では大きな装置を必要としますが、電気分解では 1.2V あれば十分に目的を達します。安定的に取り出すには 2.3V あれば事足ります。この技術をうまく使えば、複雑に組み合わされた元素間結合を簡単にばらばらにしたり、また、新しい結合により有害な物質を無害化することも可能です。
物理的、化学的に処理しようとすると大きな装置が必要になりますが、電気分解では小さな装置でこのようなことができます。現在人類が直面している COVID-19、食糧危機および環境問題等の解決の糸口になる極めて魅力的な技術ではないかと思います。

3. 電気分解との出会い

私が初めて電気分解に出会ったのは 1990 年(平成 2 年)でした。当時 S 製薬が販売していた電気分解装置のメンテナンス(取付、保守、修理)を請け負ったときからです。その後、多くのメーカーがこの分野に参入し1993 年には 16 社の機器をメンテナンスするようになっていました。このメンテナンスを通じて、多くのノウハウを得ることができました。しかし、私はメンテナンスを通して、この電気分解技術には多くの欠点があることを知りました。最も大きな欠点は、生成された水に「食塩」が混入するということでした。その量は 2,000pp(mg/kg)と、決して少ない量ではなかったこと、塩素ガスとの戦いであったこと、その他故障率の高さ等の問題を幾つも抱えていました。塩が混入することは、農業では土壌の塩害を招き、工業洗浄では金属を錆の危険に晒します。塩素ガスはご存知のように毒ガスの成分です。私はメンテナンスの立場からも、こうした欠点を取り除かなければ「電気分解技術の未来はない」と確信するに至りました。

1994 年、私がメンテナンスをしていた電気分解装置の 1 台がルワンダでの自衛隊 PKOで使われることになりました。派遣期間は 1994 年 9 月 21 日~同年 12 月 28 日までの 3 か月間で、部隊の規模は医療関係者が主体で、医官と看護兵が 400 名、これを守る普通科部隊が 100 名、総勢 500 名の隊員が派遣されました。派遣命令は、
① 現地の国連職員・各機関の構成員および自衛隊の隊員に対する防疫上の措置を含む医療、
② ルワンダ難民に対する食料、衣料、医薬品その他の生活関連物資等の配布、
③ ルワンダ難民に供する水の浄化
等でした。

宿営地を建設して柵で囲んだ翌朝には野戦病院ができることを聞き付けた難民2,000 人程が宿営地をぐるり取り囲んでいました。目立ったのはフツ族とツチ族の部族間抗争で、男子は子供から大人まで銃が持てないように、両手首から先が切り落とされていました。患者が増える一方なので、支援活動として治療行為が必要である旨を外務省および防衛省に連絡するのですが、「待て」という指示の繰り返しだったそうです。増々宿営地を取り囲む人が多くなり、これ以上待てば宿営地が破られるという危険性があったので派遣隊長は「治療活動を開始せよ」と指示したのです。
難民に対する医療行為は派遣命令に含まれていないので、これは明確な命令違反でした。難民に対する医薬品は準備していなかったこと、高温多湿の状況下で薬によっては既に使えなくなったものもあり、持参した薬は直ぐに底をつきました。そこで S 製薬の電気分解装置を動かし、この酸性電解水で何千人もの難民を助けて帰国しました。

帰国した医官からの報告会が翌年、自衛隊中央病院で開催され、(オフレコの部分が多々あるので関係者しか参加できなかったのですが)私は電解水生成装置のメンテナンスをしていたことおよび元幹部海上自衛官であったので報告会に参加することができました。そこでルワンダで何が起こっていたのか、派遣された自衛隊の医療関係者がどのような活動をしていたかということを詳細に知ることができました。ルワンダに持ち込まれた電解水生成装置は国内のものと同様、信頼性が低く故障が頻発しました。まして高温多湿の環境下で整備担当者のご苦労がよくわかります。しかし、治療薬がない状況下で様々な症状に苦しむ多数の患者を救った電解水生成装置は、医官にとってどれほど頼りになったことでしょう。自衛隊の医官は、この装置が現地の多くの人たちの命を救ったこと。そして、このような装置を本当に必要としているのは、日本のような衛生環境の整った国ではなく、ルワンダのような衛生環境が劣悪で薬も買えないような人たちが多くいる国であることを強調していました。
しかし、こうした地域で使うためには多くの不具合な点を改良しなければならないと指摘したのです。指摘された内容は次表のとおりでした。

No欠 点要改善点
1装置に入れる水は純水装置で生成した純水でなけ
れば使えなかった。
簡単なインフラで動くように改良
する必要がある。
2生成量が毎分 1 ㍑程度と少ないので十分に運用で
きなかった。
最低でも毎分 2.5〜3.5 ㍑生成でき
る能力が必要である。
3陽極水(殺菌用)のみ必要なのに陰極水(洗浄用)
も同時に吐水される。この処理が大変であった。
また、捨て水となり無駄が大きかった。
片側(必要な側)のみ生成(吐水)
する方式を開発する必要がある。
440℃以上の高温下では装置の故障が多発した。修
理も難しく、使用できない時間が多かった。
構造を簡素化して故障率を下げる
必要がある(信頼性の向上)。
5操作及びメンテナンスが難しく、現地の人間では
取扱えなかった。
操作及びメンテナンスの簡素化を
図る。
6分解せず残留する食塩濃度が 2,000 ppm (mg/kg)
あり、高価で数が少ない医療器具が錆びるという
不具合が生じた。また人体に使用すると傷口が塩
に侵され治療効果が減少した。
残留食塩濃度を 100ppm(mg/kg)以
下に下げる必要がある。
7塩素ガスが発生したため、人体に危険であった。塩素ガスの発生を極力抑える必要
がある。
PKO 国際平和協力業務

当時このような問題を解決する技術は全くなく、私たちにしてみれば、プロペラ機の開発がやっと終わったのに、プロペラ機ではダメだ、ジェット機を造れといわれたようなものでした。事実、この報告会に出席したメーカーの技術者は即座に「無理である」と回答したことからも極めて厳しい要求であったかと言うことが分かると思います。

「だったら自分でやってみよう」とその時決心したのでした。

4. 挑戦の開始

(1)第一段階(従来型電解装置の改善)
当時、私は友人と共同でメンテナンス会社を経営しておりました。会社も設立後 7 年が過ぎ、ゼロからスタートした会社も社員 60 名、外注作業者 100 名を抱える程になり、売上も順調に伸びていました。私自身この電気分解を突き詰めてみたい気持ちもあり、友人に無理を言い独立させてもらいました。急速に大きくなった会社で政治家やいろいろな人が出入りし、私自身こうした対応に嫌気が差していたのも独立した理由です。また共同経営は苦しいときは良いのですが、経営が上向くと方針の違い、考え方の違いがはっきり出てくるので、余程でないと続きません。私には少し貯えもあり、チャンスだと思って独立したものの、ちょっと経験があるぐらいの者がやって成功できるほど、甘いものではありませんでした。

何度も何度もチャレンジする間に資金は底をつき、現実の厳しさを嫌というほど味わうことになりました。丁度チャレンジから 5 年が過ぎたとき、貯金は勿論、家もマンションも皆、人のものとなり家内の結婚指輪や様々な思い出の品も換金のために売られていました。そして、4 人の子供の進学のために積立てていたお金まで装置の開発に注ぎ込んでいました。家の電気、ガスを止められることはしばしばで、最後には水道まで止められる始末でした。住宅地の中で我家だけが被災しているかのような状況でした。

【私が開発した塩分を 0 にすることのできた“三室型電解槽”の部品図の一部】

(2) 第二段階(EFW 生成装置の開発)
新たな方法で電解装置を作るための理論および構造は、病院の医療機器メンテナンスをしながら 1 年ほど考えぬきました。装置を試作する資金がないので、いろいろな方法を考えてはイメージを膨らませ、頭の中で装置を動かしてみました。電圧、電流を上げると確かに能力は向上しますが、生成水に危険な成分が増えてきます。例えば生成水に手を漬けようものなら手は溶ける、水と混ぜれば煙がでる、口に入れることも目に注すこともできない危険なものになるのです。危険部位だけを取り除くことはできないので、電解装置の構造を根本的に変更する必要がありました。

資金がないので全て頭の中で考え、頭の中で何十回、何百回とシミュレーションしました。多分この方式なら成功するのではないか、自衛隊の医官が要望した以上のことができ、かつ、電解水が抱える全ての問題を解決できるのではないかという方法に思い至りました。そのように追い詰められた中で新しい電解装置の理論が作られていきました。今までの電気分解の常識からすると極めて異なるものでしたが、理論を詰めていくと、それまでの疑問が全て解消されるのです。しかし、資金不足のため試作品を直ちに製造することはできず、この閃きが形になるまでには更に数年の時間を要しました。

2003 年(平成 15 年)、今まで考えてきた新たな装置のアイデアを形にするため、会社を立ち上げることができました。「Japan Water Supply」の頭文字をとって「JWS」そして技術エンジニア分野を担当することから“テクニカ”という名称を付けました。コーポレートカラーをドイツ国旗に似せたのは、苦労をかけた家内の母国色にダブらせたこと、そして赤を情熱、黒を基礎、黄色を明るい未来に見立てたことによります。やっと本格的な開発がスタートしました。

今まで考えたアイデアを具現化しようとしたとき、自分一人の力では無理ではないかと考えました。私は海上自衛隊に14 年間勤務していたので、海上自衛隊の技術力が民間よりも20 年以上進んでいたことを思い出し、海上自衛隊を定年退職した技術者を採用することを考えました。

このような人たちと共に、何年も頭に思い描いていた新たな理論と活用分野の広い EFW を生成できる試作第 1 号機を手にしてテストがスタートしました。いろいろな問題はありましたが確かな手応えを感じることができました。新たな方式の電解槽を開発して半年後、この電解槽を内視鏡洗浄装置に搭載することが決まり、やっと市場に出すことができました。

【内視鏡洗浄装置】

約 80 台しか販売できませんでしたが、貴重なデータを収集することができ、特に医療分野で使用されたので大きな自信を得ることができました。開発を本格的にスタートさせてから 8 年が経過していました。諦めないで本当によかったと心の底から思いました。

この装置は強アルカリ性水(pH14.0)または強酸性水(pH0.6)のどちらか一方のみを生成できるもので私たちは“UH-1”の機種名を付けました。この機種名は EFW 生成装置の開発にあたり採用した海上自衛隊を定年退職した技術幹部 U 君と H 君の頭文字から命名したものです。

No仕 様酸 性 用アルカリ性用
1寸 法200×200×200(mm)200×200×200(mm)
2重 量5kg5kg
3生成量2~5 ㍑/分※ 0.2 ㍑/分
4残留食塩濃度82mg/kg 以下(ppm)0
5生成吐水方式陽極のみ生成陰極のみ生成
6使用水質軟 水軟 水
7構 造信頼性が高いシンプルな構造信頼性が高いシンプルな構造
8塩素濃度pH1.60 まで塩素ガスの発生
を抑えることが可能
0
9メンテナンス性簡 単簡 単
※:5 倍~2,000 倍に希釈可能

現在の装置の性能はこの試作品とほとんど変わっていませんが、装置は簡素化して極めて信頼性の高いものになりました。中学生レベルの学力があれば装置を運転し、EFW を生成することができます。

【電解槽の写真】
【特許協力条約に基づいて公開された電解槽の図面】
(PCT WO2005/105678 A)

5. UH-1 の誕生

UH-1 型は世界で唯一、四角型の電解層を装備した電気分解装置です。コーナー(角)を持つということは、水に適当な抵抗を与えることになり、同じ面積の円と角では、電解水が通過する時間が 2.6 倍も違います。電気分解効率は、電気分解時間が少しでも長いほど上がるので、角型の方が流水の抵抗が多いため 2.6 倍長く電気分解することができます。こうした電解水の流量特性を活かして新しく生み出された方式が循環電解方式です。
UH-1 型の高効率、一方吐水性能を利用して実現した方式です。この方式を採れば、同じ水を繰り返し電気分解することができるので、言いかえれば極限まで濃い濃縮液を造り出せるのです。それから様々な改良を加えた結果、その限界能力を次のように定めることができました。

限界点

No極 性pH 値O.R.P※2K濃度有効塩素濃度
1陰極(ー)14.0-1010mv7500mg/kg
2陽極(+)1.50+1200mv500mg/kg(ppm)
※2:O.R.P とは、酸化還元電位(Oxidation-Reduction Potential)で電子量を計測する尺度です。
【UH-1 型電解電子機能水生成装置】

6. Biomizer® と ECOMIZER®

(1) Biomizer®(バイオマイザー)
陽極側の水は次亜塩素酸を主成分とする殺菌水です。殺菌の基準は pH2.70(±0.4)、O.R.P 1,100mv 以上、有効塩素濃度 10~40ppm です。この溶液(水)の特徴をまとめると次のようになります。

a 殺菌スペクトルが広く、真菌、細菌、ウィルスに及ぶ。
b 殺菌(106
→10>)が短時間で行える(芽胞菌は 30 分以上必要)。
c 副作用がない。
d 残留性がない。
e 耐性菌をつくらない。

殺菌レベルは消毒(中~高)レベルです。当社独自の循環電解方式で生成することにより、濃度を pH1.60、O.R.P1200mv(塩化銀電極)、有効塩素濃度 500mg/kg(ppm)とすることができます。塩素ガスおよび残留食塩の問題は既に解決していますので、全く新しい水(溶液)といってよいでしょう。

この水は単に殺菌だけでなく、アルカリの中和、金属の酸洗浄としても利用可能であり、従来の硫酸、塩酸の代替としても使用することができます。また、この濃縮液は現地で希釈でき、特に災害地での防疫活動で大きな力を発揮することが可能です。環境や人、動物、植物などを傷つけず、Biomizer®は有効な殺菌を、水と食塩と電気があれば、地球上どこでもつくり出せます。必要であれば分解して持ち運びができます。それも一人で運べるも
のです。そして UH-1 は組立てには 30 分もあれば十分です。難しい技術や危険を伴う作業もありません。大きな設備そして投資も必要もありません。水から作り出したものであり、水に戻っていくものです。環境リスクのない殺菌水は人類が初めて手にするものであることを再度認識してもらいたいと思います。

(2) ECOMIZER®(エコマイザー)
陰極側の水は強い洗浄力を有した水です。電解質として炭酸カリウムを用います。この簡便な装置によって pH13.5 以上の強アルカリ性水というものが量産されています。私たちは pH10.5~pH13.5 までの陰極水を ECOMIZER®と称し、特に pH12.5 以上のECOMIZER®を脱油脂に用いています。この ECOMIZER®はトリクロロエチレンや苛性ソーダのような工業用脱脂洗浄剤に十分代替できる能力を有しています。

UH-1 型と循環電解方式からこの ECOMIZER®は生まれます。環境リスクのない「水から造った高機能洗浄液(水)ECOMIZER®」。この商品も人類が初めて手にするものであることを理解してもらいたいと思います。詳細については技術資料を参照ください。また、ECOMIZER®を使った無農薬農法も可能です。この技術は既に歴史があり、大手トマトケチャップ会社は 100%この農法に頼っています。こうしたノウハウは確立されており、
UH-1 システムと一緒に今、世界へ羽ばたく日を待ち望んでいます。(残留食塩の高い従来のものは農業には使用できません)

7. 未来につなげる

この UH-1 型は有害な物質、金属を瞬時に取り除くことのできる唯一の電解装置です。今後この利用は高まることはあっても下がることは決してありません。ルワンダ PKOから戻った自衛隊の医官が要求した性能をクリアするのに十数年必要としました。個人的には生活が成り立たなくなりましたが、今、私の前に本当に手数のかかった、またお金がかかった 5 番目の子供がいます(実子が 4 人います)。その名前は UH-1 といいます。

電気分解は先に述べたように難しいことは何もできません。効率よく元素を引き離すこと、そして結合すること。その効率はその他の反応と比べものにならないほど高いものです。その力を最大限に引き出し、従来型電解装置の欠点をほとんど修正した UH-1 型は多くの地域で、多くの分野で私たちのために働いてくれると思います。まだ改良点もありますが、UH-1 を用いた応用技術の開発もこれからです。私はこの仕事を使命とし、技術者
としてできることはやってきました。あとは本当にこの UH-1 を、そしてそこから生み出される水を必要としている所へ一日も早く届けることだと思います。
「電気分解、UH-1 の夢」は明るい未来と同意語です。この簡便な装置によって人の運命が変わり、世界の環境が少しずつ変わっていくなら、こんな痛快なことはないと私は考えます。

8. 世界に向けて

この技術を世界に向けて出そうと考え、その第一歩として PCT(特許国際条約)の申請を行いました。この技術の考案者は私たちであると証明したかったからです。運良く PC で認められ、私たちがこの方式、この技術を世界で初めて考案したことが証明されたのです。また、装置はいくら簡単にしたといっても当時はまだシーケンサーを用い、複雑な回路系をもっていたため、世界中どこでも使えるレベルまでにはなっていませんでした。そのため、アフリカでも問題なく組立て、そして生成ができるまで簡便化しようとする取組みを始めることとなり、簡便、簡略化作業に本格的には入ることとなりました。実際これには 5 年かかり、やっと日本の一般的な中学生が組立て、生成しメンテナンスできるレベルにまでに達することができました。

そんな矢先 2006 年 12 月 24 日のクリスマスイブに、苦労をかけっぱなしだった家内が癌で亡くなりました。苦しいことや何か問題があると必ず彼女に相談しながら事を進めていたため、彼女の死は私に大きなダメージを与えました。美人で常に凛とした気丈な人で、彼女が妻でなければ、こんな勝手な冒険は一切できなかったのではないかと思っています。今年は 2020 年ですので、この 14 年間、私は何かあると亡くなった彼女ならどう考え、ど
う判断するかということを常に考えながら人生を、事業を進めてきました。また、妻の死は大変ショックでしたが私にはこの開発を継続する以外他の選択肢はありませんでした。早い遅いは別としても私も何れは死ぬならば、生きている間は全力でこの技術の完遂を目指そうと考えました。(家内は敬虔なカトリック教徒でしたが、亡くなったのが 12 月 24日だったので、教会はクリスマスイブで葬儀ができず、12 月 30 日まで引き延ばされました)葬儀までの 5 日間、私は家内に付き添いながら研究開発を続けました。

幾ら水を電気で分解したといっても、その水が工業、食品用の油脂を分解したり、これを飲ますだけで動物や人間が健康になったり、植物の育成が良くなったりするなんて、思い込みが激し過ぎると様々な所で言われ続けていました。当時はしっかりとした理論もなく、テストもほんの小規模で行うしかなく、こうした批判に私たちは答えることができず、しっかりとした反論すらできなかったのです。しかし、少しずつ、この技術を見てくれる人が増えてきて、実際の工場で、農地で実験することが可能となりました。私たちはこうした実験には利益を無視して臨み、それなりの結果を得ることができたのですが、何せ分母が小さ過ぎて結果に安定性と真実性が伴わないと感じました。
日本において農業は原則 1 年に 1 回です。色々駆けずり回って関東地区にやっと 20 アール(2,000m2)程度の畑や田んぼを数箇所借り受けることができました。しかし、収穫したものは全て買い取ること、失敗したら弁償するという条件の下です。農業は 1 回だけでは結果が分かりません。まぐれということもあるのですから。連作で 3 年続けなければならないのです。

中国でリンゴ栽培(西安)
日本でのニンニク栽培(青森)

工業洗浄についても然りです。何かあったら大変なので、テストに次ぐテストが繰り返されます。約 2 年のテストを経て運良く採用されたとしても、その時点で全ての利益は人件費や諸々の経費として全て失われてしまいます。まして各企業は完全秘密主義ですから、ある企業が他の企業を紹介してくれることもありません。仮に紹介してもらったとしても、そのテストが一つとして省かれることもありません。全て一からのスタートなのです。こ
うしたテストを繰り返していくうち、私たちには多くのノウハウが積み上がりました。理論どおりいくものと、いかないものをしっかりと把握することができました。

工業洗浄装置(写真はイメージ)

しかし、こんなことをしていて本当に私たちに未来があるのだろうかという疑問が湧いてきました。会社は小さく、実績もないため当然銀行等の金融機関も相手にしてくれません。(現在も無借金経営です)こんなことを続けていたら本当に倒産してしまう。そんな恐怖心が湧き上がり、毎日毎日焦る気持ちで一杯でした。

そうした中、知人の紹介で韓国の S 電子と接触することとなり、S 電子の招待で彼らの本拠地である韓国・水原市を訪ねることとなりました。最終的に小さな装置 50 台を受注することとなり、1 億 5 千万円の商売をすることとなりました。知人には紹介料、コンサルタント料の名目で 30%を支払いましたが、それでも 1 億以上のお金が残ったのです。S 電子は私たちから購入した 50 台を農業分野でのテストに 10 台、工業分野に 20 台、そしてその他の応用研究に 10 台用いて様々なテストに入りました。残りの 10 台は早速リバースエンジニアリングによるデッドコピー製作のために分解されていきました。

色々ありましたが、あの四面楚歌的な状況を一気に解決してくれ、私たちを生き続けさせていただいた S 電子には感謝の気持ちしかありません。S 電子のデッドコピー品の開発は長く行われていましたが、ほんの数箇所、完全なブラックボックスが存在しているため、彼らのプロジェクトは失敗に終わりました。市場(中国)から 1 台このデッドコピー品を購入し、日本で解析してみましたが、余り褒められたものではありませんでした。逆に私
たちの技術の先進性、独自性に自信を持つこととなったのです。あの S 電子でさえ真似ができなかったという自信です。そのお金で様々な研究、開発が継続できたのです。そしてS 電子のお陰でこの技術は直ぐに中国・上海に飛び火しました。

上海では私たちの技術が S 電子の持つ技術の原型の技術であること、日本の技術であるということで彼らは S 電子に発注せず、私たちに直接 10 台発注してきました。この最初の10 台は全て工業洗浄用と実験用に用いられることとなったのです。2007 年のことでした。

それから 13 年、中国では工業洗浄、野菜果物の農薬除去水の販売、そして農業の大規模テストの実施など、多くの分野で確認作業が進んできました。特に農業分野では準備期間を入れると 7 年の歳月を費やし、中国全土の 18 箇所にテスト地を設け、様々なテストを行って参りました。

その中国のパートナーが李文秀という広島大学を卒業した農学博士なのです。彼は非常に合理的な思考の持ち主であり、このテストをビジネス化しながら行ってきました。国の認知を得ながら一つ一つ現実面でビジネス化する彼のやり方は私たちも参考とすべきであると感じました。

中国や韓国が動き出すと必然的に日本でも動くであろうと思っていたのですが、現実はそううまくいきませんでした。全く火がつかず、引き合いがほとんど 0 でした。私たちは決して日本の市場を蔑ろにしてきた訳ではありません。この間、東京国際展示場(ビックサイト)でのエコプロダクツ展、日本国際工作機械見本市(JIMTOF)、工業洗浄展等多くの展示会に参加をしましたが、引合いは全て海外からのものだけでした。イランやタイ、中国、台湾、ヨーロッパ、アメリカ等の顧客を得ることができましたが、日本にいながら日本での展示会でありながら日本の顧客を掴むことができませんでした。何かが悪いのだろうと思うのですが、その原因すら分かりませんでした。

私たちは、その意思とは別に販売の方向を海外に向けざるを得ず、現在アメリカ、メキシコ、ベトナム、カンボジア、タイ、インド、スリランカ、イラン、EU 諸国、ノルウェー、モンゴルなどでビジネスを続けています。また、私たちは無借金経営だなどと言うと「凄いですね!」とよく言われます。しかし、これは先に述べたように銀行も貸してくれないということですし、海外展開凄いですねと言われますが、日本という国が私たちを相手にしていないということだからではないかと思っています。海外でしっかりと実績を挙げて日本市場に一日も早く戻ってきたいという思いはありますので、今できること、今日できることをしっかり行っていきたいと思います。現在海外で少しずつ認知され、中国においては農業分野で国の補助金が出るようになりました。中国、カンボジアでは防疫面で国の許可証が発行され、中国では現在大掛かりな EFW 生成工場が 5 箇所建設されるようになって参りました。(1 工場で 100 台)

アメリカ、メキシコでは FDA の認可を取り、現在癌の治療薬として販売されています.また、インドでつくられた EFW マンゴーが日本でも販売されようとています。この仕事に就いて今年で約 30 年、やっと少しずつですが認められようとしています。この間に技術が盗まれそうになったことが 5 回あります。堂々とこの技術は自分が開発したという輩もいますが、PCT(特許国際条約)はそれを完全に否定しています。また、この間に何度も
もう駄目だと思ったこともあります。その都度私たちは何か見えない力によって助けられ、更なる一歩を踏み出されています。本当の意味で“ピンチこそチャンス”だと私は思います。「焦らず、恐れず、あきらめず」です。

広島事務所のオフィスビル
UH-1 型を 11 台設置した生成工場(広島)

2020 年 10 月 23 日現在、私たちは広島に事務所、研修所、EFW 生成工場を準備し、国内での市場拡大作業に入っています。海外だけではなく、国内もという余裕が生まれてきたからでしょう。振り返って見ますと、当時 38 歳であった私も 69 歳。もう少しで古希(70歳)を迎えます。よく大きな病気もせず、ここまで行き着けたなあと思うと同時に妻や、妻の財産、家族の和や家、子どもたちの未来、そして親から貰った形見まで失ってしまっ
たという後悔がそこにあります。

もし、人生もう一度チャンスがあり、もう一度同じことをやれと言われても、私には再びこうしたことをやり遂げる自信はありません。失ったものがあまりにも大き過ぎたからです。しかし、死ぬまで生命は続きます。前に「電気分解、即ち EFW の夢」は「人類の明るい未来」と同意語だと書きました。私はこの言葉を信じて、生命ある限りしっかりとこの技術を完成形に近づけて行きたいと思います。
そして、「1 秒でも早く、一滴でも多く、1 円でも安く」、世界中の EFW を必要としている所へ届けていきたいと思います。

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