おはようございます。太田雄一です。第105回
人生観3「人生を何に使うのか」
明治時代の教育勅語「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし」の普通の生き方そのものです。それを守るための対応法が「悟り」です。

この世ではこれでもかこれでもかと試練が私たちに向かってきます。常に前は死であり、後ろは苦難です。その中で私たちは生きています。
私たちは後ろ、すなわち「苦難」を選択しなければなりません。目の前の「死」は選択してはならないのです。
しかし、苦難が突然襲ってくるとその大きさに私たちは恐れ慄いてしまいます。まずこれを克服しなければなりません。そのためには逃げずに立ち向かう気持ちが必要になります。苦難は必ず来る。来ないはずはない。この理解力があれば、まず大丈夫です。
その上で必要なのは「逃げてはいけない、立ち向かおう」という気持ちです。その気持ちがあれば腹が据わります。
それから、今起きている困難、トラブル、逆境といわれるものの分析に入るのです。でも、その時、人のせい、時代のせい、社会のせい等にしてはなりません。全て自分のせいなのです。自分の問題なのですから・・・そして、それから一つずつ丁寧に分析をするのです。
そうすれば「大きな熊だと思っていたものが小さなネズミだったり」、「大きな龍だと思っていたものが、小さなハエであったり」、「深い谷だと思っていたものが小さな川」であることがわかると思います。
その目が事実をしっかり把握する目となるのです。その力を得てください。その解釈力が試練を乗り越える力となります。もう一度繰り返します。
「使命感」というものは「死生観」の上に立っています。この限られた人生を何のために使うかそれを探し出すこと、それを探し出すこと「悟りを開く」事の一つだと思うのです。
