おはようございます。太田雄一です。第104回

人生観2「人間の悟りと幸せ」

親鸞聖人は90歳の時「人の心は蛇蝎(だかつ)の如し」と言われました。

蛇蝎とは何か、それはサソリの事です。あの親鸞聖人でさえ人間はエゴから離れられない存在であると言わしめた人間とは一体なんでしょうか?

親鸞聖人(1173年 – 1263年)

今、多くの人は幸せになろうとして色々な開運セミナーや宗教等に大金をはたき自分の人生や性格、運勢を変えようと努力しています。しかし、その結果はどうでしょうか。そうしたことによって自らの人生に重く圧し掛かって来る様々な難問を全てクリアした人はいるのでしょうか?

比叡山で千日回峰行を2度行った酒井阿闍梨でさえまだ悟りは開いていないと言わせた「悟り」とは何でしょうか。

酒井雄哉(さかいゆうさい)大阿闍梨

中国の昔の諺に「小賢は山陰に遁し(とんし)、大賢は市井に遁す。」という言葉があります。本当の賢者は山の中ではなく一般の社会の中で修行をし悟りを開くということです。

そのことに対して私はこう考えます。この社会、この空間は私たちが与えられる様々な試練にどう立ち向かい、そして解決し「幸せ」な人生を過ごしていくための演練の場所でありその解決の方策、方法が「悟り」ではないかと思うのです。

ですから山の中でその解答を得ることは出来ないのです。それでは「幸せ」とは何かという問題となります。幸せとは日々の普通の生活であると思います。普通に起きて食事をし、普通に子供を作り、育てていく、普通に働き、普通にふとんにつく。そして普通に元気でいれることではないかと思います。