おはようございます。太田雄一です。第298回・新生日本編08「自衛隊が石を投げられた時代」

新生日本編08「自衛隊が石を投げられた時代」

船は稚内にあるレーダーサイトの傘下にあり、そのため、年に数回稚内港に入港しなければなりませんでした。

当時の日本は荒れていました学生運動が半端ではありませんでした。昭和45年ごろ今から55年ほど前)のはなしです。

そのため、稚内では海上保安庁巡視船のバース(岸壁)に船をつけ、稚内にいるときは常に陸上自衛隊警務隊(自衛隊の警察)が実弾入りの短機関銃を持って警備をしてました。

当時は私服での上陸が出来ず、皆制服での上陸でした。当時の稚内市人口5万人程度の町で米軍も2千人ほどおりました。そこで私は石をぶつけられ「この税金泥棒、非国民はさっさと出て行けと」といわれたのです。

石をぶつけられ「この税金泥棒、非国民はさっさと出て行けと」

稚内に上陸できることは嬉しく、礼文の町では買えないようなカセットやカセットテープが売っています。そこでカセットテープや本を買ったりしているとすぐに出航の時間が近づいてきます。

船の生活は大変です。何が大変かと言うと毎日が同じことの繰り返し酒も飲めない娯楽もほとんど無いテレビはないそんな中、一つの船体の中に80名の人間が詰め込まれているのです。

下手をすると気が狂います。実際には5年間で数人がノイローゼで船から降ろされました、自分は国防の任についているのだ、こうして国民をソビエトから護っているのだという気持ちだけが心の支えだったのです。

投げられた石は私のそんな気持ちを一瞬で打ち砕きました。本当に立ち尽くしたのです。私は今一体何をやっているんだろうか。

日本国民は我々に感謝するどころか罵声を浴びせ石まで投げてくる。訳がわからなくなりました。