おはようございます。太田雄一です。第297回・新生日本編07「北海道での国防」
新生日本編07「北海道での国防」
この船が作られたのは利尻島でのソビエトの領空侵犯が後をたたないためで、主としてソビエトのユージサハリンスクから飛び出したソビエトの航空機が利尻山の後方から侵入、その領空侵犯に対応するための対策に急遽計画されたものでした。
礼文島の陸上自衛隊301沿岸監視隊の固定レーダーの整備までのリリーフ的な役割を果たしたのです。

北海道には航空自衛隊のレーダーサイトが6つあります。稚内、奥尻、当別が日本海に向いています。
この3つのレーダーの欠陥は低空侵入に弱いことで、1976年のベレンコ中尉に拠る函館空港着陸事件はその欠点をつかれたものでした。
私が乗っていた船はずっと礼文島沖にとどまり、油や水、食料の補給の為2ヶ月に1度、礼文の香深港に入港する程度でした。
また、必要に応じ稚内港に入港することもありましたがそこではほんの数時間しか自由時間が無かったのです。
特に香深港への入港は楽しみで食料を船内に運んだあとの数時間、礼文特産の「うに丼」を食べ民宿の畳の上で横になるという贅沢を味わっていました。そんな生活を5年送っていたのです。



