おはようございます。太田雄一です。第279回・再始動編72「父親のこと」
再始動編72「父親のこと」
私の父親は大正9年(1920年)の生まれです。東工大卒業の電気技師で昭和20年の2月まで防空レーダーを開発していた男です。
当時の日本のレーダーは性能が良く、日本全土をすっぽりと防空レーダーが囲い込んでいたと父親から聞きました。
その父親は昭和20年(1945年)に兵隊にとられ、半年間、樺太の防衛につかされた後にシベリヤ経由で昭和22年に日本に帰国しました。
両肺結核で帰国し、手術により一命は取り留めたものの長い間、北海道函館市にある函館病院の結核病棟に入院していました。

当時の結核はお金のかかる病気で、入院費と結核の特効薬であるストレプトマイシンの購入費に多額のお金が使われ、私たちに回るお金がほとんどないような状況でした。
そんな苦しい中、高校まで出してもらいました。私はもしかすると大学に行けるのではないかと甘い期待を抱き進学校へ進むことにしました。

もし、大学へ行けない場合はそのまま自衛隊に行こうとも決心していました。自衛隊は自分の実力で偉くなれる世界だと思ったからです。


