おはようございます。太田雄一です。第272回・再始動編65「車上生活が始まる」

再始動編65「車上生活が始まる」

平成11年(1999年)に突然、塩野社長が亡くなり、平成12年には高橋君がこれもやはり突然死されました。

高橋大朗氏

ゆったりと毎月80万円(40万円は生活費40万円は開発費でした。)もらって開発をしていた私(太田くん)の後ろ盾が一気になくなった瞬間でした。

それから私は崖をころがり落ちて行くように経済的に苦しくなっていきました。

開発もうまくいかず、お金もない、家まで追い出され車上生活を余儀なくしなければならなくなるまでさほど時間はかかりませんでした。

元の会社へ戻ろうとも思いましたが、長い間高橋君あっての私でした。私は彼のリーダーシップに乗っかっていただけだったのです。

確かに高橋君が亡くなってから私にもお呼びがかかりました。戻ってきて社長をやってくれとの誘いです。この会社の株も30%以上持っているし、私が戻ると言っても許されたと思います。

会社に戻るか車上生活でも開発を全うするのか

しかし、私には高橋君程の力はありません。将来を見通す力も、押しも、リーダーシップもありません。

何よりも大変だったのは、会社が専務副社長のグループに分かれ権力争いを始め、それに高橋君の奥さんのグループが参戦するなど会社がぐちゃぐちゃになってしまった事でした。