おはようございます。太田雄一です。第132回
営業編1「初めての営業」
多くの人たちに助けられた4年間のアルミ自転車の開発を終了し、私は次の仕事にステージを移しました。
営業とは何かを追い求めてみようとしたのです。
なんせ自衛隊の経験しかない為、生きていくために一般社会の経験を積む必要があったからです。
色々縁があってマレーシア・シンガポールの会社に就職することができました。この会社は錫(スズ)製品を製造する会社でアメリカやヨーロッパにも支店を持つ有名な会社でした。
ちょうど日本に支店を作りこれから日本市場を拡大していくというタイミングでした。私は2年契約となり、そこで2年間マーケティングを勉強するつもりで入社しました。
総支配人は大手広告宣伝会社「博報堂」の営業部長だった人で、ヘッドハンティングでマレーシアの会社に引き抜かれた人でした。私は営業について色々なことを教えてもらえるのではないかと期待していたのですが、その期待は見事に裏切られました。
営業は全て接待営業だったのです。毎日が宴会、有名な寿司屋さん、高級料亭や高級クラブなどでの接待漬けによって大手のデパートや大手の問屋、電機メーカー、自動車メーカー等を面白いほどに簡単に取り込んでいくのです。
自転車の営業もこんな調子でやっていたらもっと上手くいったのかなと頭をよぎりましたが、根本的に何かが違うのではないかと感じました。業績も凄かったけれど接待費がいくらあってもたまらない状態でした。
私はこの会社に2年おりましたが、もしこれが日本の一般的な営業手法なら何か間違っているのではないかと思いました。案の定、2年たった時にマレーシアの本社から監査が入り経費の使い過ぎと不正経理が見つかり総支配人はクビに、私も一緒に見事クビになりました。
総支配人は自分がいつクビになってもよいようにしっかりと準備をしていましたが、私に取っては青天の霹靂です。何の準備もしていませんでしたので次の日から全くの無職です。