おはようございます。太田雄一です。第304回・21年前の原稿01「西洋科学の問題点」
21年前の原稿01「西洋科学の問題点」
広島事務所はこれからも確実に整備されていきます。最終的にどこに落ち着けるかは別にして一つの意思を持った存在として機能を果たしていくものだと思います。
ところで、そうした作業をしている中、21年前に私が書いた手書きの原稿が出てきました。

当の本人はすっかり忘れ頭の隅にも残っていませんでしたが、改めて21年ぶりに読んでみました。確かにこの21年での変遷は若干あったにせよ大筋では何も変わっていないことに気が付きました。
もうすでに21年前には技術的にはほとんど近似値で出来上がっていた技術であったのです。皆さんも読んでみてください。
タイムスリップスタートです。

お風呂を考える。(第一)
今、私たちをとりまく様々なものが少しオカシイのではないかという思いを多くの人が持っています。科学を神のようにあがめていた人達の中にも、これはおかしい。大変な事になるのではと思い始めた人が増えてきています。
日本人は本来、自然を私たちの仲間と考え、自然の中の私たちという思いで生きてきたはずです。しかし、残念な事に、この50年で価値感が大きく変化し、自然を対象物としてみるようになってきました。
私は、価値観の原点、運動によって、こうした自然についての考え方をもどしていきたいと考えています。
量子力学という学問があります。量子という自然を探し、さぐる学問です。(原子爆弾をつくった学問です)。当然、観測者が物体を観測するのですが、この場合の立場は次の通りです。
観測者は物体と無関係であり、事実は客観的に決まってくるという考え方です。でもこの方法では次の問題がでてきます。
すなわち、
(1)観測そのものが物体に影響を与え、位置と運動量を同時に決められない。
(2)観測しないと何も決められない。
難しく書きましたが、結論、観測そのものだけでは何の意味もないということなのです。
こうして量子力学は大きな壁にぶつかりました。ニールスボーア、ハイゼンベルグ等ノーベル賞を受けた多くの学者その結論を東洋哲学に求めたのも西洋の自然観だけでは説明がつかなかったということだったのです。
東洋の思想、哲学は人と対象を決して分けないことです。宇宙の全ての物質、いかなる現象はそれだけで存在しているのではない。一見、無関係と考えられるものが微妙に関連し、影響し、相互に作用し合っている考え方なのです。
この世には宇宙から量子の世界まで一つの法則があり、その法則の下、全てのものが支えあって支えられ、生きている。それを「神」と呼ぶか、「法」と呼ぶかは別にして、一つの意志があることなのです。
私たち人間も決して例外にはなりえません。

私は単にこうした事だけを見て東洋の哲学は西洋のそれより優れたものだとは言いません。
しかし、今、私たちの目の前で起っている事。それは西洋の科学は万能ではなかった。それどころか大きな矛盾を持ったものであったと考えるのが正しいのではないでしょうか。
西洋人は一般的にこう考えるようです。私の家内もいっしょです。(ドイツ系のブラジル人です。)
私の先生 平井孝志の言葉をかりますと。・・・人間は神に似せてつくられしもの、その人間を豊かに生かす為に自然というものをつくられたのだと。だから人間が豊かになるのに自然をどう利用し使っても良いのだという考え方です。
このような考え方によって環境は計画的に管理されて破壊されてきました。しかし、私たちにとって、生命をおびやかす行為そのものではないでしょうか。
「満足を知れ」という宗教の言葉も、今の時代、本当に説得力のあるものだと私は感じます。
今、日本人の乳幼児の1/3が何らかの問題をもって生まれてきているという報告を目にした事があります。事実かどうかは私はわかりませんが、もし事実であるならば大変な事です。
又、今の若い人たちの体温が36℃以下になっているともよく聞きます。又、退行性疾患という細胞が弱ることによって発生する病気国民のやはり1/3を苦しめているという事をよく聞きます。
今から20年前のアメリカでも今の日本と同じような事が生じていました。原因のわからない病気、アトピー性皮ふ炎の異常なる増加、ぜん息、ガン、脳卒中、糖尿病等々、こうした病気が子供たちの中で異常増加を示したのです。
又、家庭内暴力、狂乱、精神病、狂暴性、あげくの果ては手の指が多い少ない足がない、頭がない、又は大きい、目が一つ等々、その姿は人類の末期をあたかも暗示するようなものでした。その他、食中毒の増加等々がつづきアメリカ政府も無視できなかったのです。
1995年時にアメリカ上院に栄養特別委員会が設置され、マクガバン上院議員を中心としたプロジェクトチームが設けられました。


