おはようございます。太田雄一です。第128回

アルミ自転車編1「自転車の世界を変える挑戦」

今から約40年ほど前、自衛隊を退職してすぐに横浜にあるアルミニウム加工会社に就職をしました。

この会社はアルミニウムを素材とするスイミングプール、船、石油プラント、小型レスキューチャンバー、潜水服、ヤマハのモトクロスバイク等を生産する会社で、スイミングプールでは日本市場の65%を占めているような会社でした。

私はその会社の海外事業部に配属されたのですが、毎日勉強以外何もすることがなく暇そうにぶらぶらしていたところ社長に見つかり、社長室へ呼ばれました。

そこで社長から「暇そうだね」と言われ、もし暇ならこれを手がけてほしい旨あるプロジェクトを示されました。それはアルミニウムの自転車を開発するというプロジェクトでした。

私は自転車には乗れましたが、格別自転車には何の興味もなかったのですが、社長命令であったのでそれを引き受けることとなりました。

自転車をアルミニウム化しようとする挑戦が始まる(1982年)

よくよく聞くと日軽金(日本軽金属)ヤマハ発動機の社長と私の会社の社長がゴルフ場で3社で何か作ろうという事で決まった企画で、何か確りと市場調査をして決まったものでないことがわかりました。

その次の日から私は分からないなりに東京の自転車産業振興協会自転車工業会に出向き自転車の現状をつぶさに調べました。1ヵ月後市場調査をしたのち決定したのはアメリカの競争自転車BMXと当時出たばっかりのマウンテンバイクを造り上げることでした。

鉄(クロームモリブデン鋼)でもボキボキとフレームが折れるほどハードなもので、それをアルミニウムで作れるはずがないというのが当時の一般常識でした。でもそれを完成させることによって世界の自転車の大半はアルミ化すると思いましたのであえて挑戦することとなりました。

挑戦の結果できたアルミニウム製のBMXとMTBのカタログの表紙(1985年当時)