おはようございます。太田雄一です。第130回

アルミ自転車編3「アメリカで大ブレイク」

アルミ自転車の製造ラインの撤収作業を中止してアメリカにいる社長の指示を待っていると23,000台の契約をした。製造ラインを元に戻せ」との指示が来ました。

その後、一度撤去した治具(じぐ)等を戻し製造ラインが戻ったころ社長が日本に戻ってきました。そこでなぜ急に23,000台の受注があったのかその理由が分かりました。

以前アメリカのセンチュリオン社から100台の注文があり、本当に四苦八苦して輸出したマウンテンバイクのうちの数台がアメリカの有名な自転車雑誌BICYCLINGに買われ、そこで徹底したテストが行われました。

当時の自転車雑誌「BICYCLING」(1983)

機械テスト、専門のライダーが乗って行う乗車テストが約1か月間行なわれ「B」の結果が出されました。AA~Fまでの結果区分の中での「B」です。そのテストの内容がBICYCLINGの中で明らかにされました。そして「アルミの時代が間もなく来る」といってくれました。それを読んだ読者が注文してくれていたことをそこで知りました。

また、この23,000台が全てではなくこの注文台数が当分続くと言うこともわかりました。御殿場で作り横浜港から輸出された自転車のアルミフレームはFOB(本船渡し)で1台19,800円でアメリカに出ます。

それがアメリカでステッカーが張られ日本には138,000円で戻ってきます。約7倍です。この商品を日本人は競って買うのです。

あの日本での2回の自転車ショーは一体何だったのでしょうか?

あの日本人の無関心さは一体何だったのでしょうか?

そして自転車完成車メーカーのコメント、部品メーカーのコメントとは何だったのでしょうか?

私は本当に首を傾げてしまいました。

それより何より驚いたのは、私たちの自転車に対してあれだけ辛口のコメントをした日本の自転車の専門家たちがアメリカから戻ってきた私たちのアルミニウムの自転車を手放しでベタ褒めしたことなのです。

それはそれは見事な「手の平返し」です。それまでそんな経験をしたことがないので私は本当に驚きました。腰が抜けるほどにです。

その時の私たちの社長は「日本人には1台も売るなと」と営業マンに号令をかけました。その為、日本人はアメリカから帰ってきた7倍も高い自転車フレームを買わなくてはならなくなったのです。

あれから40年たった現在、世界の自転車の70%がアルミニウムです。

そして、この技術は最終的に台湾のジャイアントに移りジャイアントは世界制覇をすることとなったのです。日本の自転車メーカーというと世界に置いておかれ、次々に倒産していったのとは全く対照的です。
少し、日本人は日本で開発されたものを信じないと。アメリカを愛するのも適度にしないと・・・・私は思います。