おはようございます。太田雄一です。第129回

アルミ自転車編2「日本初のアルミ自転車の開発」

アルミ自転車への挑戦が始まり、約1年寝ても覚めてもアルミニウムの自転車開発の毎日です。様々な試行錯誤をした後、やっと完成車を数台作り上げることができました。

それから本格的なテストを経てその半年後、東京晴海の自転車ショーで初デビューすることが出来ました。しかし、思ったほどの反響がなく頭を抱えることとなりました。

何もしないで諦めるわけにはいかなかったので、会社として精鋭5人で営業部隊を作り、カタログを作り、進め方を決め本格的に販売活動に入りました。(それからの1年で、この5人の精鋭の売った台数は全部で15台でした・・・。)

開発したアルミ自転車が売れずに頭を抱えることに

それから1年後、大阪の南港で開かれた自転車ショーに再び展示し再チャレンジすることとなりました。

前年の晴海での自転車ショーでは鳴かず飛ばずでしたので余り期待をせずにおりましたが、案の定ここでも余り反応がなく、そこでの商談はアメリカのセンチュリオン(CENTURION)社からの注文が100台が決まっただけでした。

その100台の注文を四苦八苦して輸出し、これからどうするかについて社長を交え会社で会議を開きました。社長はこのアルミ自転車の企画は自分の発案なので、自分で実際に多くの自転車メーカーや部品メーカーの評価意見を聞き、その後どうするかを決めたいと言われました。

しかし、それらのメーカーなどの評価は散々で、こんなものは自転車なんかじゃない自転車をバカにするなという意見までありました。

散々苦労をして作り上げた物に対してこんな物言いはないと思いましたが、社長はそうした意見を私たちの意見より重くとらえたようで最終的に「中止」との命令が出されたのです。

それから私たちは工場をかたずけ、治具(じぐ)を仕舞いこみ完全撤収の作業に入りました。そのような作業中にアメリカのセンチュリオン社から突然23,000台の注文が入ってきたのです。

日本で開発したアルミフレームを使ったセンチュリオン社の自転車

皆何がなんだかわからないままにいると、実際にアメリカに飛び自分で確認したいとの社長の希望があり、そのまま彼はアメリカに飛んでいくこととなりました。