おはようございます。太田雄一です。第100回
宗教観1「今の宗教について思うこと」
私の家内は敬虔なカトリックの信者であり、朝晩は毎日お祈りをしていました。しかし、四人の子供たちにキリスト教を強制することを全くせず、教会に子供たちを連れていくこともありませんでした。それも一度もです。
私たち夫婦も宗教の問題で一度も言い争いをすることなく28年夫婦生活を終えました。彼女は日本の文化の高さに気が付いたのだと思います。日本では「神」は私たちの心の中におり、全ての中に「神」が宿るという考えを持っています。
これはイエスも言っていることでもあり(福音書「マルコ伝」のテーマです。)、また、日本の宗教家である出口王仁三郎や高橋信次等多くの有名な人たちが言っていることでもあります。
お互いの人の心の中の「神」を敬い、相手の心を敬うという考え方です。(神も心も「しん」と呼びます。)

全ての中に「神」が宿るという考えを持っています。
全ての動物、植物、空気や水の中にも神聖が宿っており無闇な殺傷はしてはならないと言うことでもあります。森羅万象に神が宿っているという考え方です。
こうした考え方は本来日本だけではなく世界中にあった考え方であるように私は思います。このような敬虔な考え方が今から100年以上前の書物の中に脈々と流れています。私はそう捉えました。
このような敬虔な気持ちは今の世界には少ないように感じます。この100年の間の変化ではないでしょうか?多くの宗教は「神」というアイドルを作り、そこに人々の心を集約させるという方法を取ります。そこに大量な人が集まりお金が流れます。
しかし、原点に戻り宗教とは何かをもう一度考えてみましょう。宗教の「宗」という言葉の意味を是非調べてください。最も大切なのは私たち一人一人の背後で応援してくれているご先祖様たちの存在を忘れてはいけないことです。ご先祖様の数は15代も遡ればその数は6万人にもなります。そして、父と母がいなければ私はこの世におりません。また、父も母もそうでした。
そう考えた時、6万人の応援団の前でマウンドに立つ自分の姿が目に浮かぶでしょう。ご先祖様たちはその投球をかたずをのんで見守り、歓声を上げて応援してくれているのです。

人生いろんなことが降ってきます。希望するものしないもの様々です。でも自分一人ではないと考えた時、自分は6万人の応援団の声援、祈りを受けているんだと考えた時、そして常に応援してくれているんだと考えた時、感謝で自然に手が合わされます。宗教とはそのようなものではないかと思います。
私の家内は日本に来てそのことを感じ、そして知ったのではないかと思うのです。 そして、相手にも応援団が付いています。突然この世に降ってきた人を除けばです。
そうした人の「心 」「神」ようするにご先祖様たちに敬意を払うことが宗教であると私は思います。自分の体は自分でコントロールすることは出来ません。心臓を止めることも早く動かすことも自分の意思では全くできません。この体はご先祖様からの与りものでしかないのです。
そうであるならば少しでも負担を軽くし、できるだけ大切にしていくべきではないでしょうか。大正10年の科学雑誌は私たちにお金にまみれていない本来の純粋な「科学」を示してくれています。精神的に100年戻ってみませんか。新しい未来が見えるかもしれませんよ。