おはようございます。太田雄一です。第140回
「衝撃の写真」
私は父から断片的に石垣づくりのイロハを教えてもらいましたが、その方法は私たちが考えている物とは全く異なるものでした。
まずお堀の水は流水であること。水源を調べることから設計が始まり、石垣はどこからか石を集め積み上げて行くのではなく多くのメインの石はその地の石が溶かされ、その後、鉄の金型に入れられて作られること等を教えてもらいました。
その時使われるのは炭と石炭と電気と言うことでした。石の精度を取るために電気まで使われているのです。この話は明治以降の話ではありません。徳川時代の話です。
それとレンガを作りそのレンガを3重に積み、地下に抜け道を作るということも聞きました。私たちはレンガは明治になってヨーロッパから入ってきて日本中に広がったと聞きましたが、そのはるか以前から日本にそうした技術があったということになります。
父は嘘を言う男ではありません。冗談すら言いません。そんな男の言うことが嘘だとはとても思えないのです。
現に京都の「南禅寺琵琶湖疎水」のような徳川時代以前に作られたレンガ造りの建築物は日本各地にみられます。
また、利根川周辺には徳川時代に作られたレンガ造りの建築物がたくさん残っており、何か私たちの常識とは違った物が見え隠れします。
ついでに函館の「五稜郭」についても聞いてみました。五稜郭もうちの先祖が作ったのかと聞いてみました。
父は「五稜郭」は徳川後期に作られたものではなくそのはるか前から存在していたこと。誰が作ったのかわからないこと。どんな目的で作られたのかもわからないことを話してくれました。
ずいぶん公式の説明とはかけ離れているなあと子供心に思ったことを思い出しました。そして、衝撃の写真を見せてくれたのです。