おはようございます。太田雄一です。第139回

「世界情勢を見る」

この高橋大朗君との出会いと起業までの話は面白く1冊の本に出来るぐらいのものです。そのため、この話は後に取っておきたいと思います。

この「おはようございます。太田雄一です。」は、私が徒然なるままに書いているものですので、話題は突然大きく変わる場合があります。その時はどうかお許し下さい。

さて今日は話を40年以上戻し、現代の世界情勢について私の考え方を述べてみたいと思います。

先に述べたように、私はいわゆる外国人結婚し彼女が亡くなるまでの28年間を一緒に生活をしました。そうした視点から自分なりに今世界で何が起き、どこに向かっていくのかを考えてみたいと思うのです。

ブラジル系ドイツ人の妻と28年間生活した視点で見た世界情勢

まず第一に私たちが習ってきた歴史なるものを本当に信じて良いのでしょうか。そこから考えなければいけないのではと思っています。

色々自分の周りを見ていてもほとんどの物が検証不十分ではないかと思うのです。私の家系はお城の石垣作りを専業としていたと聞いています。しかし、それを証明するものが全く残っていないからです。

私の家と蔵は弘前函館にあったと聞いています。弘前城の修復が最後の仕事でありそのまま弘前に留まったと言うこと、その技術力を買われ函館の津軽要塞の建設に携わりそのまま函館と弘前を本拠地としたこと。

その家も蔵も函館大火(焼損面積1万坪以上焼けたものを大火という)で全て焼けてしまい、本当に何もなくなってしまいました。特に函館には家と大きな蔵が2つあったそうですが明治に入って18回、大正時代に6回大火があったそうです。

函館大火の消失区域略図

函館は決して大きな町ではありません。奥地の方は山しかありませんので、函館山の麓にあった繁華街の周辺が執拗に燃やされたと言ってよいでしょう。