おはようございます。太田雄一です。第92回
「太田雄一の経歴2 自衛隊時代〜1990年」
高校卒業後、自衛隊へそのまま入隊し、その後約5年半自衛隊で勤務をしました。その間大学通信教育で大学を卒業し、そのあとは自衛隊の幹部養成学校である幹部候補生学校に入隊、幹部自衛官として約8年以上海上自衛隊で勤務させていただきました。

最終階級は1等海尉。旧軍の呼称では海軍大尉でした。何故こんなに早く自衛隊を辞めたかと言いますと家内が外国人であったためです。
自衛隊は秘密の山ですので、家内が外国人だとするとその秘密に触れなくなります。仕事がなくなるのです。肩もたたかれます。そうした中、昭和57年(1982年)に自衛隊を退職いたしました。辞めたといってもどこか行き先があってやめたわけではありません。
当時の「就職情報」という雑誌を見て様々な職探しをし、横浜のアルミの加工会社に就職することとなりました。そこで4年間アルミの自転車の開発に従事し、多くの人の協力で世界初のアルミの自転車を完成させることができました。
この時の経験は決して忘れられないものとなりました。その後営業の仕事を知りたいと思い、またもや「就職情報」で今度はマレーシアの会社に就職することができました。
そこで2年間日本市場の開拓にあたりましたがトップがかわったこと、営業面で得るものも少なかったため早めにやめさせてもらいました。
その後、1990年東京のデパートで大ドイツ展が開かれ家内が売り子として参加することとなり、その場所で偶然客として来られた高橋大朗さんと出会う事となりました。高橋大朗さんは牧師の大学を出たのち牧師にはならず、警視庁の警察官になった変わり者です。警視庁で10年ほど勤務をしていましたが怪我をして退職し、郷里の熊本に帰って商売を始めたのですが上手くいかず東京で改めて仕事を始めようとしているところでした。
