おはようございます。太田雄一です。第91回

「太田雄一の経歴1 小学生〜高校生」

今まで自分の経歴について述べたことがありません。多分、さほど人に誇ることもなかったからでしょうし、毎日生きることに一杯一杯だったからでしょう。

でもこの年になって自分の人生を振り返ってみると、それはそれは騒がしい人生だったように思います。

私は実は小学3年までの記憶がほとんどないのです。小学生の入学式の写真はあるのですが、それを見ると小学校に入学したんだなと思うのですが記憶が全くないのです。せいぜい転んで犬の糞を服に付けて家に帰って母親に叱られたぐらいしかないのです。

ところが小学4年生からの記憶は鮮明に残っています。何故なのか全く分かりません。私は昭和26年2月26日生まれで今年73歳になります。

太田雄一 1951年(昭和26年)に生まれる

父は戦争に行っており昭和23年にシベリア経由で日本に帰ってきました。3年のシベリア抑留生活両肺結核、帰国後函館病院に入院し右肺を取り結核に侵された左肺だけで75歳まで生きました。

日本へ帰ってきてからの彼の人生はその半分は病院に入院していたと思います。私の家の歴史は明治、大正時代に25件ほどあった函館大火(大火とは1000軒以上焼けたものをいう)によってすべて失われており、父親が時おり話す昔話が全ての情報でした。

しかし、父親を見ていると大学は東京工業大学を戦前に卒業していることや英語やドイツ語を話すこと、テレビでも部品を集め簡単に作ってしまうこと、戦前は東京に住んでいたこと、そしてあのお金のかかる治療ができたことからも相当に資産を持っていただろうと思います。

先祖は城作りの仕事をしていたとも、青森の弘前城内に住んでいたとも聞いていますので技術職で豊かであったことはわかるのですが、それ以上は何もわからないのです。

私が高校生のときは母が生命保険の仕事をし父は病院に入院していたため、家にお金がなく大学への進学は当然諦めなければなりませんでした。大学へ行けないことは高校1年生の時には薄々分かっていたので自衛隊へ行こうと決心しておりました。