おはようございます。太田雄一です。第75回
「メキシコと日本の事故」
平成11年、12年と日本では塩野さん、そして、高橋君と相次いで急死されました、それから2年後の事だったのです。当時(平成14年)、メキシコ人アレッサンドロ・ネモルスタージュという男がメキシコシティで「電解電子機能水」酸(pH2.5、ORP1100mv、塩素濃度20ppm以下の)を癌の予防薬として販売をしていました。
勿論メキシコのFDAの許可を得ています。そのためメキシコには古い装置が50台以上入っています。
メキシコのラジオ番組でこの紹介を定期的に行っており、この番組が終わると数百人の人たちがこの商品を買い求めようとして列を作るような状況でした。今はメキシコシティとコロンビアのボコタで行っていますが、今から23年ほど前まではメキシコシティとアメリカのヒューストンに行っていました。
1.5リットルの酸性水が当時の価格で一本7000円で飛ぶように売れたのです。勿論アメリカでもFDAの許可がないと売れないので許可をとっていました。毎日がウハウハの状態だったのです。
アレッサンドロの息子ホセには、アメリカは怖いので販売を止めるよう忠告したのですが全く聞く耳を持ちませんでした。ヒューストンに進出してから1年半後ホセはカジノで有名なラスベガスのホテルから飛び降り自殺。ギャンブルに負けたからという理由でした。
しかし、その額も思っていたほどでもなく不思議に思いました。その後、ホセの下で工場長として働いていたミゲルはアレッサンドロの甥に当たるのですが、ホセの死後ヒューストンでこの事業を継続しようと決断した直後、朝の出勤時に大型トレイラーに衝突され即死しました。火災が発生し、黒こげ状態であったと言います。
しかし、警察の判断はアルコール摂取による酔っ払い運転との事でこの事故はミゲルの責任に帰されました。アレッサンドロは息子や甥の不審な死を目にし、やっとアメリカ市場から撤退してくれましたが、大きな犠牲だったと思いました。
この事故に今回の岩本社長の事故がダブったのです。疑えば限りがありませんが、用心するに越したことはないと思います。今回の事故がただの事故であればよいのですが、私の経験から本気で気を付けてほしいと思います。交通事故だけでなく多くの面で。
私は岩本社長に会ったとき初対面で「殺されないてください。」といったそうですが当の本人はすっかり忘れています。私の周りではメキシコ人を含め5人の人間が不審死をしています。先日の勉強会に来てくれた塩野さんの家族の方も「不審死したのは塩野芳彦だけではないのです。」「芳彦の死は皆が首をかしげています。」と言われていました。そんな観点から考えると、この仕事をしようとすると、それなりの覚悟が必要なのかもしれません。