おはようございます。太田雄一です。第57回
「世界27ヵ国を訪れて思ったこと」
私はこの人生の中で27ヵ国を訪れました。自衛隊時代も含めてです。その中で中国が一番長く、2003年からのコロナ騒ぎの前2020年までのお付き合いです。
2003年というと中国がまだ自転車と人民服の時代でした。その中国の発展や祖国である日本という国の変遷を、海外から見せてもらいました。北朝鮮には行ったことはありませんが中国の遼寧省丹東市まで足を延ばし橋の上から、また、観光船から北朝鮮を見せてもらいました。
この中で最も良いなあと思った国はイラン、そして、その隣国のアゼルバイジャンでした。アゼルバイジャンは化学肥料や農薬の汚染に曝されておらず、本当に自然あふれる精神的に豊かな国でもありました。何よりも親日的な国で安全な国だと思いました。
色々な国を訪れるにつきアメリカという国の影響下にない国の方が、人は人の心を持ちより常識的ではないかと私は感じました。これとは逆にアメリカ文明が浸透している日本、韓国、メキシコ、中南米の国は何かこせこせし、治安も悪く、より大変なように感じました。
一例を挙げると、日本は異常な薬漬けの社会、そして中南米はコカ・コーラ漬けの世界です。ブラジルではテレビで毎日コカ・コーラの宣伝を行っていますが、これを飲むとスーパーマンのようになれるという宣伝文句です。その為、教育のない若いお母さんはこの宣伝を信じ、乳幼児に母乳の代わりに哺乳瓶にコカ・コーラを入れ飲ませています。中南米に子供の糖尿病が多いのもこのせいでしょう。お金の為なら何でもありですよね。
中南米は今までアメリカが散々やりたいようにやってきました。チリのアジェンデ政権転覆、アルゼンチンのフォークランド戦争(アメリカがイギリスに支援をしています。)、ブラジルの巨大インフレ等、自分たちの言う事を聞かないと徹底的にいじめます。それによっていじめられた国は崩壊していくのです。
私は1976年に初めてブラジルに行きました。当時ブラジルは軍事政権でドイツ系のエルネスト・ガイゼルが大横領をやっていました。当時のブラジルは綺麗で治安も良く素晴らしい国でした。女性もみな痩せていてスタイルも良く、今のブラジルとは全く違う国だったと思います。
ところが1977年アメリカがカーター政権になると、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイなどに軍事政権をやめろという所謂人権外交を強要し圧力をかけてきました。カーター大統領はロザリン夫人を特命大使に任命しブラジルに送りましたが、当時のブラジル政府は内政干渉という理由で飛行機から一歩も降ろさずアメリカに追い返しました。ブラジルの悲劇はここから始まったのです。
アメリカはすぐに石油の輸出を止め、日本などに圧力をかけブラジル市場から撤退させるなどの嫌がらせに入りました。その為にブラジルのハイパーインフレが始まったのです。今はブラジルは海底油田が見つかり石油等の輸出国ですが当時は全く取れなかったのです。当時ブラジルは資源凍結法を定め、勝手にブラジルの資源を採掘すると死刑という法律を定めたり、テレビではブラジルは食料資源国なので餓死者は出ないと大統領自ら説明に当たっていました。
しかし、そのインフレはすごく、トマト一個買うのに紙袋一杯の紙幣が必要だったのです。このように色々な国へ行って眺めているとアメリカは怖いなと思い、出来るだけアメリカの影響下にない国で仕事をしようと改めて思いました。