おはようございます。太田雄一です。第49回

「イランに行くことになった経緯」

イランへ何故行くことになったのかというと、イラン政府からの招待があったからです。

その前年(2008年)私たちは東京ビックサイトで開かれた2008年洗浄総合展に出展しました。その時の来場者の中に革命防衛隊の高級幹部を父に持つ女性がいたのです。

2008年洗浄総合展

彼女のアテンドで日本の商社を使い電解電子機能水600リットルをトルコ経由でイランに送ったことがありました。何に使うんだろうと考えているうちにイランから招聘状が来て、あわただしく北京からイラン航空の飛行機でテヘランまで飛びました。

革命防衛軍を父に持つ女性からの依頼

この飛行機は成田発だったのですが北京までガラガラで北京で満席になったのです。ビジネスクラスも満席です。ほとんどすべてがイラン人で、昔日本の上野公園にいたイラン人が皆中国に引っ越したのかなと思うほどすごい数でした。その時イランと中国の関係が少しわかったような気がしました。

イランのホメイニ空港に着き通関で並んでいると、私の名前を書いたプラカードを持った職員が私を呼んでいるのです。

すぐさま手を挙げると違う部屋に連れていかれ様々な質問を英語でされました。皆パスポートに書いているだろうと思っていると最終的には指紋を取られ、写真を撮られそのまま別の出口から外に出されました。

到着口で待っていた彼女に後ろから声をかけるとびっくりしていました。それから連れていかれたのが彼女の事務所です。

テヘランペルシャ病院で講演をしてほしい、そして、イラン原子力庁に一緒に行ってほしい旨伝えられました。イラン原子力庁になんの様だろうと思っていると、持参していた機械で200リットルの「電解電子機能水」を作ってくれとの事。

イランの美人の技術者とその部下の男性技術者の3人で夜遅くまでかけて生成しました。

その時この装置の原理を彼女らははっきり理解したのです。すごい能力だと思いました。

イランで電解電子機能水の生成

電話は4日に1度しか日本にかかりません。そして、確実に傍聴されていました。仕事の話をするとすぐに不通話になります。