おはようございます。太田雄一です。第32回
「中国に拠点を移す」
すぐに中国上海で仕事をしている日本人をたどり、その人のつてで再度上海に向うこととなりました。
一回目の上海の旅を終えた10日後です。今度は現地で商売をしている中国人を紹介してもらったので話す相手がいます。
1人は日本の大学を出て堺にある自転車会社で修行をしたのち中国で自転車の製造販売を行っていた、許(キョ)さん。この人と様々な話をすることができました。
2人目は既に前に述べたH君の紹介で韓国S電子経由で機械が入っていました。(日本から韓国へ輸出し、今度は韓国から中国へ輸出するという方法をとったのです。)そこの担当者です。
このように2回目の中国の旅は1回目とは全く違う結果となったのです。
3人目は、H君の紹介によるビジネスマンです。彼は楊(ヤン/ヨウ)さんという揚州の親分の息子であり、従弟は外務委員まで務めた楊潔篪(ヨウ・ケッチ)氏です。
そうした人たちにも説明する機会が出来たのです。楊氏は日本で教育を受けただけに日本語が上手く。そしてきれいな発音の日本語を話したため瞬間的には中国にいるのを忘れるようでした。
楊氏や許氏とのビジネスの話はとんとん拍子に進み、H君の取り計らいもあり10台の機械の成約があっという間に決まったのです。
私はこの時中国を中心にテストを行っていこうと決心し、日本から拠点を中国上海に移すこととしたのです。
H君の力はすごく、すぐに中国の無錫(むしゃく)に農薬洗浄用の電解電子機能水を作る工場を建て、そこに21台の機械を入れることとしました。その工場は計3回に分け最終的には60台の機械を設置し本格生産を行うようになっていったのです。