おはようございます。太田雄一です。第29回
「H君のその後」
このH君は最終的に約1年私たちの仕事を手伝ってくれました。彼は英語も中国語も韓国語もできないのにこうした国に139台私たちの機械を売ってくれました。まだどうやって使うかもはっきりしない中でです。
ヨーロッパでも計31台売ってきました。そのノウハウは最後まで分からなかったけれど1台最低630万円もするものを139台販売してくるのですから普通ではないことがよくわかります。

最終的に彼は、中国人との商売が裏切りの上に立っていることを強く感じて、より信頼の高い仕事へと移っていきました。彼のような営業マンにはその後会うこともなく、今考えるにものすごい奴だったのだなと思います。今彼はベトナム政府のベトナム側の窓口に立っています。彼を仲介せずベトナムでは商売できないと聞きます。

彼は福岡で地上げ屋をやっているとき、中国やベトナムの留学生の面倒をよく見ていたと聞いています。食事は勿論お金まで都合をつけていた様です。そのときの留学生の多くが自国に戻り、今は皆大臣になるなど偉くなっています。こうしたコネがあったのですね、人間年でも出身大学でもなく能力であることが、このことからもよくわかります。
彼に会えたこと、彼と短い期間だったけれど仕事ができたことを考えると私という男はつくづく運がよい男だと思います。
