おはようございます。太田雄一です。第18回
「試作品開発チームの結成」
2003年私はK君、M君と会社を作り、かねてからの試作機の開発に入りました。
会社は資本金1000万の株式会社とし、資本金の53%を有する私が代表取締役となりました。しかし、この開発に当たっては私の能力だけでは難しいのではないかと考え、私の古巣である海上自衛隊の技術幹部出身の定年退職者の協力を得るのが一番良いのではないかと考えました。
市ヶ谷にある海上幕僚監部人事課に行き人選をお願いすると、すぐさま回答が返ってきました。定年退職後24回面接を受けそのすべてを落ちた技術幹部がいるということですぐその者の面接を行いました。彼の経歴はすさまじく硫黄島に5年いたとのこと、その前は沖縄にやはり5年いたとの事でした。
当時、硫黄島には海上自衛隊が駐留していたのですが(今は海上、航空自衛隊が駐留しています。)旧軍兵士の亡霊が出るとのことで、1年半以上の連続勤務は原則禁止されておりました。精神異常を起こすという理由です。そこに5年、そして沖縄にやはり5年、海上自衛隊内部では硫黄島、沖縄勤務は島流しといわれ普通一般の隊員が行くところではないという印象が持たれています。
その硫黄島に5年いた理由は内地の部隊が取ってくれなかったため勤務期間が5年に及んだということでした。しかし、面接してみると一見おとなしく問題児とは思えません。何か他の理由があるのではないかと考えているうちにあっという間に採用が決められてしまっていました。
人事担当者が防衛大学出身で私の幹部候補生学校の1期先輩であり、半ば強制的に後輩に押し付けて厄介払いしたという感じでした。その言い方も「太田君も十分変わっているので大丈夫。彼とはうまくやっていけるよ」との事でした。
確かに一緒に仕事をしていると変わっているのです。しかし、ものすごい頭の回転をしていることに私は気が付きました。彼は高専出身で大卒ではないため階級的には3等海佐(少佐)どまりでしたが、優秀過ぎるため人を下に見るのだなと思いました。だから就職試験連続24回落ちたのだと私は納得しました。彼は「H」君と言います。
そしてしばらくすると海上自衛隊の人事担当者がまた来ました。今度はお前の同期なんだが就職テストを受けさすことができないのでお前の会社で受け入れてくれとの事でした、同期の頭文字「U」と言います。これも半ば強制的に置いていき、私はこの海上自衛隊の半端者2名とこの開発を行うこととなったのです。