おはようございます。太田雄一です。第17回

「片側電解一方吐出方式の閃き」

当時色々なことが重なり先に述べたように1年間車での生活を余儀されましたが(ホームレスでしたが本気でこの問題の回答を見出そうとしました。)本気で考えました。自分の人生の中で一番頭を使ったのではないかと思います。

そうした中、今私たちが使っている「片側電解一方吐出方式」という方法が突然頭の中でひらめいたのです。

片側電解一方吐出方式
PCT(特許協力条約)

当時はお金もなくすぐには試作品も作れなかったため、頭の中で何度も何度もテストを行い、これなら自衛隊の医官が要求した性能をクリアーできると思いました。

この時はまだ車での生活や特殊な世界で所謂「しのぎ」を上げていた時代であり全く自由も、お金も十分ない時代でした。

でもその後、自由を得て、自分の意志で動ける時代が来ると、私は会社を立ち上げました。

自分のお金だけでは全く会社を作るには足りず、どうしようかなと考えているとき、知人の紹介で2人の人と出会うことができました。

1人は当時まだ東京大学在学中の学生でありながら学生起業家を養成する塾を開いていたKさん。(今は渋谷で社員約1000名の会社を経営しています。)

学生起業家の養成塾のKさん
元海上自衛隊のMさん

もう一人は海上自衛隊の操縦士で、海上自衛隊を退職後慶応大学に入り、今はやはり渋谷で大学生を海外留学させる会社を経営するMさん(今、この業界では日本で1番大きな会社になっています。)の協力を得て新しく会社を立ち上げました。

文京区の茗荷谷に事務所を設け、備品やコピー機等は友人からただでもらい、今まで頭の中で組み立てていた構想を具現化できるようになりました。

2003年 茗荷谷に事務所を設け再スタート